果たしてあなたはどこに位置する人間か?を問う映画

「ニッポン国VS泉南石綿村」原一男監督作品。東京湾に突如現れた未確認巨大生物シン・ゴジラ。その解析のために集められた有識者3名のうちの3番目に登場する生物学老教授・塙(仮名)こそ、何を隠そう1987年公開の伝説的ドキュメンタリー映画「ゆきゆきて神軍」の監督・原一男である。その原一男の23年ぶりのドキュメンタリー「ニッポン国VS泉南石綿村」が公開されている。謎の未確認巨大生物を軽々と凌駕する傑作である。

アスベスト被害の裁判を追ったドキュメンタリーと聞いて、関心があるかどうかで迷っている場合ではない。この映画は、すべての人間にとって「自分が一体何者なのかをはっきりさせる」圧倒的なパワーに満ちた、まるで現実の人間描写エンターテインメント巨編と言い切って過言ではない

本編が215分、3時間35分あるが、見はじめた途端、最後まで駆け抜ける映画の力は尋常ではない。インターミッションを挟み、そこでやめられる状態にはならないだろう。

「何、撮ってんですか!」「映さないでください」と、カメラの前に晒される人物に微動だにせずレンズを向け続ける、いわゆる原一男タッチは今回も健在である

国策による産業開発で人生の大部分をその労働に捧げ、結果アスベスト被害にあった人たち、そしてその家族・周辺に暮らす人々たち被害者側から、カメラはその訴えに寄り添い続ける。しかし淡々と、延々と寄り添い続けることで、やがてもう一つ向こう側の立場の目線にも感情を移さざる得なくなる

それは、こちら側の自分が必ずしも、立場が同じ”被害者ではない”からかもしれない。

我々は映画を傍観することで、延々と執拗に訴え続ける被害者側立場の視点が、やがて向こう側の「訴えられる人々」の立場や気持ちにも、何故かわずかに共感する最悪の気持ちを自分の中に発見することになる。

なぜなら観客は、映画の中の特別な被害者ではなく、ほとんど多くはその事実があったことさえ知らなかった、あるいは情報としてしか知らなかった門外漢であるからだ。訴えを受ける役人、官僚、政治家たちが、必ずしも「悪」ではなく、その本来は嫌悪するべき、悪の立場の気持ちにさえわずかながらの同情、そして「悪者側へのありえない共感」という逆転的、複眼の多重視点さえ生みだす映画的到達点をこの作品は達成している

この映画を見ているあなたは果たしてどこに位置する人間なのか?

被害者か、弱者か、ただのクレーマーか。クレームを処理する事務方か、役人か、それなりの給料をもらい日々の生活を堅実に守る生活労働者か。はたまた権威ある官僚や政治家か、あるいは様々な気持ちもわかるにはわかる偽善者なのか?

自分が生きる人生の中で、これほどまでに”自分が何者なのか問われる”ことは稀である。だから今この映画を見ること、その時間は本当に”貴重な人生経験”と言えるだろう。

ふたたび「シン・ゴジラ」の話に戻るが、真逆のエンターテインメント興行作品の中で、生物学老教授・塙(仮名)を演じる映画監督・原一男は、東京湾に出現した未確認巨大生物(ゴジラ)画像の印象解析を問われ、このようなセリフを発するのである。

そもそもあの映像が本物かどうか。実証もなく憶測で判断しては、もはや生物学とは言えんでしょうが!

そしてこの「ニッポン国VS泉南石綿村」は、

そもそもこれがあなたにとって本物かどうか、実証もなく(映画本編を見もせずに)憶測で判断しては、もはや真実が何なのか何も言えない」・・・でしょうが!

「ニッポン国VS泉南石綿村」監督:原一男

2018年3月10日より東京・渋谷ユーロスペース他、全国順次公開!